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2010年 05月 21日
口蹄疫で殺処分の牛や豚を哀れんでる畜産農家ってどうなの。その子たち、どうせ殺される運命なんじゃないの。超違和感。世間の注目を浴びて、国から補償を得るためのパフォーマンスなのではないかと勘ぐってしまう。
殺して食べるために育てているのに、育てているうちに情が湧いてしまうというのは分かります。それが故に「自分が殺してやれず、病気で死なせてしまった悔しさ」という、一見おかしな感情が生まれることも理解できます。それは、生きるためには他の動植物を殺さなきゃいけないにもかかわらず、同時にそれらに対して慈しみを持てる、という「生の矛盾」ですから。でもそういった感情を畜産農家の方々が外に向けてアピールするのはちょっと違うと思うんです。マスコミの報道の仕方にも大きな問題があると思いますが。 食べるために育てている動物ですが、農家の方々が自らの手で殺すわけじゃなく、彼らは屠殺場に運ぶだけ。それが動物たちの死から彼らを疎外するんでしょう。今回の殺処分は、日頃は見えない「どこか別の場所」で行われていたことが目の前で起こってしまったから、彼らの口から「牛や豚がかわいそう」とか「殺処分現場はまるで地獄絵図」とかいったリアクションが聞こえるようになったのだと思います。屠殺場はいつだって地獄絵図だろうに。 ここで思うのは、彼らは普段、僕らがペットを育てるのとあまり違わない気持ちで家畜を育てているのかも知れない、ということ。しかし自らの手で殺していた頃は少し事情が違っていたのではないでしょうか。つまり、「生の矛盾」を目の前にある自らの問題として捉えていた、と。そして、矛盾が生じ、それを“解決”させようとするとき、人は神を登場させたりします。日々の食事に宗教的な儀礼(e.g., 祈り)が付随するのは、きっとそういうことなのだろうと思います。家畜の死が疎外されている現代と違って、「殺しながら生きながらえる」という現実を日々目の当たりにしていた頃、人はその現実をそのままでは受け止められなかったのでしょう。 家畜の死が疎外されている現代においては、それを自らの問題として捉えられる、マジメで想像力たくましい人たちがベジタリアンになるのだろうなと思います。僕からすれば、植物も殺さないと食べられないんだけど。血が出なきゃ、啼き叫ばなきゃOK、ってのもちょっと短絡的なように思います。生の罪深さを覚悟して何でも食えばいいと思うよ。 ちょっと脱線しましたが、今起こっている口蹄疫の問題は、上に書いた「生の矛盾」という、私たちが抱えているかなり根源的な問題と、食われるものの死を見えなくしている社会の仕組を浮き彫りにしているように思います。 より多くの畜産農家が国からより多くの補償を得られるといいですね。
by gocito
| 2010-05-21 03:09
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