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2011年 08月 07日
先日紹介したアナおばさん。その後も何度か市場で顔を合わせていましたが、ある時フィエスタに誘って頂きました。おばさんの知り合いがやってるレストランの10周年記念フィエスタがあるから是非遊びに来いと。「あんたと一緒に写真を撮ったり、フィエスタで踊った娘も来るんだよ!」というので、アシスタントのみなさんを連れて行ってきました。
会場は、コンサート会場としても使われるような大きな箱。約束の8時をちょっと回った頃に行きましたが、まだ人はまばら。ビール一本分のチケットを買って入場。 入り口で迎えてくれた大柄なおじさんがいきなり「名前はなんだ」と。「ゴウです」と答えると、「お前たちをオレの誕生日パーティに招待したのを覚えているか?」と。僕はどうやら勘違いをしていたようで、あのパーティはおじさんの誕生日だったようです。で、そのパーティで15歳の誕生日(quincenaria)を迎えたばかりの彼の娘と踊ったということらしい。そして、この10周年を迎えたレストランのオーナーがこのおじさんだった。 ビールを飲みながら生演奏を聞いて待っていると、少しずつ人が集まり始めました。しばらくするとアナがやって来たので挨拶。いつものごとくムギューーーっとハグされて、他のみなさんとも再会。 「みんな、これがゴウだよ!」 「やあーゴウかい!」 「元気だったか!」 その中に一人だけみんなよりもちょっと若い女の子がいました。だいたい二十代後半。逆算すると計算が合います。そしたら案の定、(入り口で会った)おじさんの娘でした。当時の彼女はなんとなくしか覚えていなかったけれど、会ったらすぐに分かりました。とても綺麗な娘さんになっていたな。 みんなが口々に「また一緒に踊ったら?」と言うので、ちょっと恥ずかしかったけど、踊りに誘ってみました。今回は「失敗」せずに。実は僕、前回(12年前に)と彼女を踊りに誘うときに、とても恥ずかしい「失敗」をしていたのです。 その時の「失敗」についてはこの次のエントリーで。
2011年 08月 07日
ペルーで暮らしていると、あちこちで働いている子どもたちをみかける。中には小学生の低学年ほどの子たちも。レストランでも、市場でも、大人に混じってテキパキと一端に働いている。
週三日みんなで食べに行くラファエルの定食屋(夜は一杯飲み屋)でも子どもたちが働いている。これを書いている晩は、インカ・ワシから住み込みで働きに来ているシーロが店番をしてる。 シーロ 「今日はひとりなの?」 ごう 「うん」 シーロ 「ビール?」 ごう 「クリスタルを」 シーロ 「よく冷えたヤツだよね?」 ごう 「そうそう」 大人の監督など無くともきっちりと働くが、見た目は子どもだ。パッと見でうちの7歳の息子と変わらないほど(* さきほど10歳と判明)。はにかんだ笑顔が可愛らしい。 ペルーの、特に地方では「子どもは勉強をして、あとは遊んでいればいい」という日本やアメリカの一般的な感覚は通じない。アメリカの過剰なまでの子どもの保護などありえない。大人も子どもも同じ土俵の上で人生を生きている。うかうかしていると一瞬で大人を出し抜くようなしたたかな子どもも多いが、僕は嫌いじゃない。むしろ小さい頃、「まだ子どもだ」と相手にされないことが何よりも悔しかったから。 僕はあまり裕福な家の出ではないが、食うことに関しては何不自由なく育ててもらった。その反面、十代後半に家を出てからは色々なバイトを経験した。労働を通じて学ぶことは多い。対人スキル、観察力、物事の先を読む力。仕事の辛さもあったが、仕事を通して今まで知らなかった世界に触れられることはとても楽しかった。僕が人類学に興味をもつキッカケは、こうした経験を通して人間に興味を持ったからなのかも知れない。 子どもらしい風貌に反して、シーロはきっと内側には大人の一面を持っているのだろうと思う。日々の労働を通して学んだ掛け替えの無い経験。一端に社会の一員として世界を回している。 シーロの足元にも及ばないが、うちの眞之介やリョウにも家事や庭仕事、買い物の手伝いをさせたりしている。小さいうちに、生きることの意味を考えるキッカケを体に染みこませておきたいから。うちで「働かざるもの~?」と叫ぶと、子どもたちから「食うべからず~!」と返ってきますよ(笑)。 僕も来週からまた一所懸命頑張ります。 p.s. もしかしたら僕はシーロを通して愛しい息子を見ているのかも知れないと思った。同じモンゴロイド系の顔ということもあって。
2011年 06月 28日
この週末にちょっと嬉しいことがありました。
町の市場へ食材の買出しに出かけた土曜日の朝のことです。野菜や香辛料を買ったのち、鶏売り場に向かいました。人懐っこい笑顔に引かれて、あるおばさんの店を選びました。おばさんは、観光客でないアジア人が珍しいのか、あれこれ聞いてきます。名前を聞かれ、「Goです。G、O」と答えたとき、おばさんが一瞬「おや?」という顔をしました。 おばさん「おや、うちに同じGoという名前の男の子が写ってる写真があるよ。 近所の女の子たちに囲まれて撮った写真でね。」 ごう 「え?」 おばさん「あーそうそう、子供たちと通りでサッカーをして、間違って石を蹴って 怪我したこともあるね。そのときは子供たちが心配して、家にアルコールを 取りに帰ってきたんだよ。」 ごう 「???」 おばさん「あと、ある晩にフィエスタに招待したこともあるよ。」 ごう 「あ、quincenaria???」 おばさん「ああ、そうそう。」 ごう 「おばさん、それ僕ですよ!」 シカン考古学プロジェクトに参加するため、99年にはじめてペルーへ来たとき、僕は7週間ほど今回と同じくフェレニャフェに滞在したのでした。スペイン語はほとんど話せませんでしたが、身振り手振りを交えながら辞書を片手に、近所のたくさんの人たちと知り合いになりました。おばさんはそのときのことをいろいろと覚えていたようです。 ごう 「覚えていてくれたんですか!」 おばさん「よく覚えてるよ!」 ごう 「もう12年にもなるんですよ。」 おばさん「もうそんなに経つのかねえ、あんたたち、この裏のバリオに住んでたんだよ。」 ごう 「みなさんお元気ですか。家族は?」 おばさん「みんな元気にやってるよ。」 ごう 「ああ、それはよかった。いや、すごいなあ。 ところでおばさん、お名前は?」 おばさん「アナだよ(にっこり)。」 ごう 「どうもありがとう、アナ。そしたら、また来ます。」 こんなこともあるんですね。いくつも同じようなお店が並ぶ中で、あのおばさんの店を選んだのです。もしかしたら12年前のあのときも、僕はあの笑顔に引かれて近所のコミュニティに溶けこんでいったのかもしれません。 なんだかとっても暖かい気持ちになりました。
2011年 05月 07日
そういえばブログ持ってるんだったw
日の出写真とともに新年の挨拶を載せて以来、すっかり更新が滞っておりました。facebookやらtwitterやらを使うようになってから、ブログの存在を忘れていました。なんか面倒なんだよね。正直、今無くなっても全然困らないものの一つ。 とはいえ、一応ご報告。夏から秋にかけて、ペルーに遺物分析、アリゾナ大に炭化遺物サンプルの放射性年代測定に行ってこようと思います。いろんなことが奇跡的に上手い具合に運び、4ヶ月近くフリーな時間が取れることになりました。しかもこの間、ずっと有給ですよ、すごいでしょ。もちろん働かずにお金をもらうんじゃなく、その前後にしっかり仕事をしての話です。たとえ研究助成金が出たとしても、妻子持ちはふら~っとフィールドに出かけるわけに行かないから、そこが辛いといえば辛い。 実は今回は日本から考古学ボランティアの方が数名、僕の土器分析を手伝いに来て下さることになっています。怪我や病気などのないよう、生活環境の管理をしっかりしたいと思います。これまで何度も発掘調査に参加していますが、何から何まで一人で準備するのははじめての経験。つまり、はじめての自分の「チーム」。ドキドキもありますが、ワクワクの方が上回っています。宿舎の手配も終わり、あとは詳細を詰めるのみ。 旅程は6/13から10/3まで。北海岸に、フェレニャフェ~チクラヨ周辺にいらっしゃることがありましたら、ご連絡下さい。
2011年 01月 02日
旧年中は大変お世話になりました。
今年も宜しくお願いいたします。 2011年元旦 松本剛 ![]()
2010年 12月 30日
2009年の暮れに候補生認定試験を受け、ボロボロになりながらもなんとか合格し、泣き笑いで迎えた年の瀬。秋学期終了後も論文審査委員の先生方から与えられた課題をこなさなければならなかったため、読んだり書いたり忙しくしていた。ということで、2010年は休息なしの"冬休み"からはじまった一年だった。
2月に恒例のMCAAAE(アンデス/アマゾン考古学および民族歴史学の中西部カンファレンス@フォートウェイン)で博士論文関連の論文を単著で一本発表。有名な先生方にとても有益なアドバイスを頂いた。4月のアメリカ考古学(SAA)年次大会@セントルイスは、発表はせずに夜にバーで仲間たちと合流。ここでは日本から来た南山大の渡部森哉くんと久しぶりに会うことが出来た。 夏にはペルーで土器の分析と各種分析のためのサンプル取りを行った。短期間だったため、体力的にかなりキツイ調査だった。ペルー人が呆れるほど、彼らの二倍の時間働いた。結果、新しい発見もあり、実り多いものとなった。ただ、最後の最後で自分の油断がもとで、リマを出発する直前にちょっとしたトラブルに巻き込まれた。"ペルーのお父さん"の助けもあり、無事帰米できたが、今一度気を引き締めなくてはならない。 そうそう、ペルー滞在中には松下幸之助記念財団から助成金獲得の嬉しい知らせもあった。 その後の秋学期は比較的停滞気味で、そんな中、TAの仕事とNSF向けのプロポーザルに掛かり切りだった。それでも、暮れに近づいたところで知り合いからのお誘いで、奈良の平城遷都1300年記念の催し物にてGIS関連のポスターを二枚発表することになった。一枚は単著でデジタル写真測量技術を応用した遺跡地図の作成について、もう一枚は共著でArchaeo-GIS Workshopという研究グループの発足から3年間の取り組みついて。 また、年間を通して人類学入門のクラスのTAをやり、教壇に立つ経験を磨くことができた。もう、いつインストラクターの仕事をもらっても大丈夫だ。準備は出来てる。そして教えるのは楽しい。 ジャーナルに論文を書くという大目標は果たせなかったが、(1) 論文発表(一本)、(2) ポスター発表(二本)、(3) 助成金獲得など、年の初めに宣言したことの7~8割は実行できただろうか。 2011年はもうちょっと気合いを入れようと思う。すでに論文三本の学会発表が決まっている。後回しになっているジャーナル論文の準備も進める。来夏の再分析調査もきっちりやって、はやくデータ収集を終わらせたい。そして、何よりも博士論文に片をつけなければ。来年の今頃には卒業内定をもらって就職活動を始めるんだ。 みなさんも素晴らしい一年を。
2010年 11月 02日
僕がはじめてGoogle MapsやGoogle Earthを触ったのは、修士論文を書き上げるのに昼も夜も頑張っていた2005年の春~夏頃と記憶している。論文の中で地理情報システムやらリモートセンシングやらを扱っていたので、とてもタイムリーなものだったのだけれど、時間がなくて論文には盛り込めなかった。ものすごいことを始めたな、というのが最初の印象だった。
その直後のパチャカマクでの発掘中も、宿舎でペルーの友人たちと「うわーこの宿舎もちゃんと見えるよー」なんて盛り上がったっけ。じゃあシカンは?ってんで、早速見てみたけれど、衛星写真の解像度が低すぎて何も見えない。分かるのは「緑なのはポマの森だな」というくらいで、構造物は何も見えなかった。学会などでも、Google MapsやGoogle Earthの画像を使っている発表が羨ましかった。 この状況は以降、5年間まったく変わらず、Googleにはもう期待していなかった。 ところが、昨日、TAをしている授業で試験監督中に何もすることがなくて、何気なく教壇のパソコンでGoogle Earthをいじっていたら、同僚に「ゴウの遺跡どこー?」なんて聞かれて「いや、解像度が低くてなんも見えないよー」なんて言いながらズームアップしたら ... ... なんとワカロロが見える! ステータスバーを見たら「Imagery Date: Mar 12, 2010」とある。半年前の新しい画像だ。夏の発掘前に見たときはまだ昔の画像だったから、差し替えたのはきっとつい最近のことだろう。とにかく嬉しくて、試験中に小躍り! さてさて肝心の画像はというと ... ![]() まずはポマの森遠景。 ![]() そしてこれが大広場。 ![]() ベンタナス神殿の南側にズームインしてみると、レチェ側の北岸で現在行われている発掘の様子まで見ることができる。 ![]() 侵食が少なく、今なお美しいレルカンレチ(or ロディヨナ)神殿。 ![]() 2003年に博物館プロジェクトによって掘られたソンティーヨ神殿。遺跡の中心地から北西へ2.5キロも離れたところにあるため、これまでに出版された遺跡地図には載っていない。 当たり前のことだが、こうして遺跡の隅々まで眺めることが出来る。 興味のある方は、以下のURLからどうぞ: http://maps.google.com/maps?source=s_q&hl=en&geocode=&q=sican,+Lambayeque&sll=49.286531,-123.122215&sspn=0.094279,0.264187&ie=UTF8&hq=sican,+Lambayeque&radius=15000.000000&split=1&ei=x0HPTLiWNpKUNfutobwD&hnear=&ll=-6.472181,-79.792489&spn=0.004355,0.0103&t=k&z=18
2010年 10月 22日
今日は息子のサッカーの試合でした。息子が出る試合は、今までに見たどんな試合よりも面白くエキサイティング。特に外せない用事が無い限り、カメラを持って毎回応援に出かけます。これまでなかなか勝ちきれないチームでしたが、少しずつ上向いていたので今日は期待できるような気がしていました。
![]() 試合直前、眞之介の肩をガッチリ掴んで「いいかよく聞け、今日はなんとしてでも点を取れ、お前が取ればチームが変わる。お前なら絶対出来るぞ」と言い聞かせた。そしたら、キッ!と目付きが変わった。お、いけそう! 8分クォーターでトータル32分の試合。ポジションをオフェンス、ディフェンス、ゴールキーパーの三つに分け、クォーターごとにポジションを変えるというスタイル。眞は一本目から、オフェンス、ゴールキーパー、オフェンス、ディフェンスの順でした。 ![]() そしてキックオフ。センターサークルに立つ眞とオースティン。ホイッスルの直前にこちらを振り返り、日本語で「絶対ゴールするぞ!」だって。しかもめちゃくちゃ気合入った声で。うわーその気になっちゃった。 ![]() 眞はこのチームの中心プレーヤー。ワールドカップ直後から近所の子供たちとほとんど毎日練習している成果が出て、ドリブルもパスもシュートも、ひと回りもふた回りも上達したのでした。しかも普段蹴っているのが大人と同じ5号ボールなので、キック力も鍛えられ、子ども用の4号ボールなら、かなり遠くまで強く蹴ることができます。 やる気まんまんで、試合開始。 ところが最初は眞の頑張りが空回りしてしまい、なかなかチャンスに結び付きません。そしてあっという間に最初の失点。「あーいつもとおんなじまたこの展開?」と思ったけれど、眞の顔色は変わらず。しかも第二クォーターに入って、眞がゴールキーパーの時にも一失点。僕と一緒で、いつもゴーリーだけは嫌で決してやりたがらない。練習したことないんだから、どうしたらいいか分からない。仕方ないよね。それでも二失点後から、少しずつ惜しいチャンスが生まれはじめました。押し気味になったところでハーフタイム。0-2。 ![]() ハーフタイムにもう一度「お前なら出来るぞ、100%でいけ!試合後に倒れるくらいに!倒れたら担いで帰ってやる。」と言い聞かせ、ピッチに送り出しました。 オフェンスに戻った眞は攻めに守りに全力疾走。ボールを持っては果敢に攻め、失っては全速力で守る。真面目に走ってるやつにはボールが集まります。そして、ゴール前で相手チームにちょっとした反則があり、フリーキック。蹴るのは相棒オースティン。眞はゴール前中央にフリーで陣取って、「こっちに蹴れ」みたいな合図を出してます。それをしっかりと受け止めたオースティンが「どうぞ決めてください」というような完璧なパス。眞はそれをトラップもせずに豪快に右足を振り抜いた。これがまた完全にボールの芯を捉え、ゴール右にズドン!父兄から「うおおおおおすげええええ」という声があちこちで上がるほどのファインゴール。いやー僕もビックりした(あ、写真撮り忘れた!)。 これがチームを盛り上げ、チームはイケイケ。しかしディフェンスのやつも構わず上がっちゃう。気が付いたらディフェンスが居ない!カウンターを食らい、何度か危ないシーンも。その度に眞之介は全力で自陣へ戻る。そして相手を止めても、クリアをせずに、そのまま攻め上がる。これにつられてチームメイトも走る走る。そんな中、ガブリエル→オースティン→眞ときれいにパスが二本繋がり、それだけでも拍手モノなのに、これを眞が落ち着いてゴール右隅へシュート。 うおおおおおお、同点! ![]() こうなると父兄ももうノリノリ。口々に「そうだ、これが見たかったんだ!」「もう一点!」「もう一点で逆転だぞ!」と叫ぶ。「チームメイトを探せ。パスをしろ。もらったらボールを前へ運べ。そしてシュートで終われ。」コーチが一生懸命言い続けてきたことが身を結んだ瞬間でした。コーチも嬉しそう。ここで第三クォーター終了。 最後のクォーター、残り8分。これならいけるんじゃないか。父兄の間にも期待が高まる。しかし、要の眞は四本目はディフェンス。軽くガッカリする眞に「行ける、と思ったときは自分で行ってもいいんだよ」と言ったら、「そうだぞ!ディフェンスでも自分で行けるときは行け!その変わり、取られたら全力で戻れ」とコーチ。 その言葉通り、しっかり守りをしつつも、前にスペースがあるときはどんどん攻め上がります。何本か惜しいチャンスが生まれた後に、とうとうその時が来ました。ハーフウェイライン手前でボールをカットした眞。相手チームが上がりすぎて、目の前に誰も居ないことを確認すると、ゴールめがけてダッシュ。チームメイトのマークや相手チームが後を追うものの、誰も追いつけず、シュート。ゴール正面に近かったけれど、キーパーは取れず、ゴール!逆転!あ!ハットトリック! うわ、また写真取り損なった! その後もチャンスとピンチを同じくらい迎えつつ、残り1~2分というところで、眞がもう一度見せ場を作ります。突貫小僧のガブリエルが右コーナー近くまで運んで相手に弾かれたボールを拾うと、ゴールの方を向いて角度のないところからシュート。「えええーーいくらノッてるからってそれは調子乗りすぎ」なんて思ったのもつかの間、左のサイドネットにズゴーーン。スーパーゴール。 写真?もう写真なんか撮れるわけねえ! 「いいぞーーーー!シーーーーーーーーン!」普段は一人だけを褒めないよう、満遍なくみんなを褒める父兄もこの時ばかりはみんなで眞を褒め称えました。一身に声援を受けた眞は、ポーカーフェイスを装いつつも、嬉しそう。気がつけば4-2。おや、もう一点いけるかな?と思った瞬間に試合終了のホイッスル。 試合終了。すげえええ。 「お前たちすごいぞ!感動した!」あまりにも素晴らしい結果に終わったことを受け、コーチも本当に感動しているのが分かる。土曜日の最終戦には来られないということで、チーム名の「Silver Dragons」にちなんだドラゴン柄のクッキーをご褒美に持ってきてくれました。最後にもう一度みんなで円陣を組み、手を合わせて、「Weeeeeeeee, Rock!」 ![]() 眞ちゃん、良い試合をありがとう。元気をもらいました。パパも頑張ります。 試合を終えて駐車場へ向かう途中に「お前本当にやったな。すごいぞ、誇りに思う。」と褒めたら、「しんちゃん、ほんとは10点とれたけど、4点でやめといた」だと。サッカーの上手さはさておき、そのビッグマウスは父譲りですね。 ![]()
2010年 10月 04日
明日はNCAAE2010のアブストラクト提出期限。NCEEA(Northeast Conference on Andean Archaeology and Ethnohistory)とは、アンデス考古学・民族歴史学の分野におけるアメリカの地域カンファレンスの一つ。東西海岸とミッドウェストの全部で三つあります。
僕はミッドウェストのやつには毎年欠かさず顔を出していますが、他の二つはまだ未体験。ということで、夏前には「行きたいなー行こうかなー」なんて書いてましたが、いろんな意味で余裕が無いのでやめることにしました。その代わりに来年のSAA(アメリカ考古学会)の年次大会でアドバイザーと共著論文を二本発表します。
2010年 09月 05日
リマでの最終日に起こった"事件"。
事件前後のことは未だに何も思い出せないが、 気合いと運で乗り切っただけのこと。 死んでいてもおかしくなかった。 此処から先は "誰か"に生かされている人生だと思うことにした。 ギリギリのところにいたオレを"誰か"が引き戻してくれた。 だから、ここが折り返しだ。 これからの38年は、 自分のものであって、自分のものじゃない。 気持ちを新たに、 生まれ変わったつもりでやっていこうと思う。 まずは 心配や迷惑をかけた人たちの信頼を取り戻さねばと思う。 見ていてください。 これでもうオレには死角がなくなりました。 これからは無敵の日々です。 ![]()
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